japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

蕎麦 そば 1/3

蕎麦のルーツ

蕎麦の歴史は古く、原料としては高知県にある遺跡から蕎麦の実の花粉が発見されて、9000年以上前のものと調査の結果で分かり、昔から馴染みが深い植物、食べ物であったことが分かります。史実を紐解くと、蕎麦が食べ物として用いられるようになったのは奈良時代以前となりますが、当時は今のように麺としてではなく、粒のまま粥にして食べていました。。

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蕎麦は飢えを凌ぐ非常食?

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食べ方としては粥の他に粉にして、練って作る蕎麦がき、水で溶いて焼いた蕎麦焼きとして食べられるようになり、小麦粉の代用として使われるようになりました。

しかしまだ美味しさという意味ではほど遠く、飢えをしのぐためといった目的が主流となり、富裕層や貴族社会ではほとんど食べられてはいませんでした。こうした飢えを凌ぐ目的というところがピンと来ないという方もおられるのではないかと思いますが、これにはしっかりとした理由があるのです。

お米や小麦粉に比べ、蕎麦は荒れた地でも育ち、かつ、種蒔き後、4~5日で発芽し、30~35日目頃に開化最盛期を迎え、70~80日で収穫適期となるため、格段に早く、年に2回は確実に、いや、うまくすれば3回収穫できるスピードフードであった様です。

この収穫スピードの理由により、蕎麦は、その後に起こる戦争による貧しさもあった昭和初期の時代も、農家さんらに、『飢えを凌ぐ』『主食』『兼』『非常食』として食べ続けられることになった。 ある意味、日本の風土にあったスーパーフードということですね。

 

かつて、そばは麺ではなかった

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今、「そば」といえば、だれもが色の少しついた長細い麺の食べものを思い浮かべる。ですが、少なくとも16世紀頃までは「そば」に麺としての形を見出すことはできない。そばの歴史の中で、そばは長いこと麺ではなかったのです!!
そば屋に入ると、そば粉を湯でこねて餅状にした「そばがき」や「そばもち」を食べることができる。このそば粉を練った食べ物こそ、そばの長い歴史の中では「そば」であり続けたのである。。。

蕎麦が麺になった時代

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現在の形状に近付いたのは江戸時代で、この頃に蕎麦を麺として食べるようになり、蕎麦がきと区別するために「蕎麦切り」と呼ばれていました。現在一般的に使用されている「蕎麦」という呼び方は蕎麦切りが省略されたものであり、地方によっては「蕎麦切り」の呼称が残っています。ただ江戸時代の蕎麦は現在のように茹でるのではなく、蒸す調理法を取っていました。

 

理由としては!

つなぎを使わない十割蕎麦は切れやすいので、切った蕎麦を蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に提供する形が主流でした。今でも「盛り蕎麦」を「せいろ蕎麦」と呼ぶのはこの名残です。そして十割蕎麦の一方で小麦粉のつなぎを加えた二八蕎麦も誕生して、こちらは蕎麦粉が8で小麦粉が2の割合で打たれた蕎麦のことを言います。

これには諸説あり、名称に関しては蕎麦粉と小麦粉の割合から、または値段が16文であったことから、2×8=16の符丁からきたものという説があります。

蕎麦としての形状は整いつつありますが、驚くのはそばつゆで、この時代は今のような鰹節の出汁に醤油や味醂が加えられたものではなく、味噌がベースとして使われていました。

シンプルに「味噌だれ」と呼ばれていて、味噌に水を加えて煮詰め、布袋に入れて吊るし、垂れてきた液体を利用していました。

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「たれみそ」と呼ばれて、江戸時代初期の料理本には、たれみそに大根の汁、削り節、大根おろし、あさつきを入れて、芥子や山葵を加えても良いとあります。現在陣のイメージするそばつゆとは違いますが、こちらが主流でした。

また蕎麦といえば江戸っ子の食べ物という認識が強くありますが、江戸の初期では実は蕎麦よりも、うどんの方が人気がありました。

上方から伝わったうどんと薄口醤油のコンビネーションは、またたく間に江戸の街に広がり、ブームを築くことになったのですが、江戸本来の食べ物を求める声も少なくなく、蕎麦を江戸のソウルフードにする!という仕掛け人が居たとも言われています。

うどんのように重たい主食とは違う提供方式で、お三時につまむようなファーストフード的になった蕎麦は、つゆにいたっても、どこまでも上方に対抗すべく、濃口しょうゆに変えられたほどです。

 

 

江戸のソウルフード「蕎麦と酒」の誕生

蕎麦の人気が高まってきたのは18世紀中ごろで、中期から後期にかけてです。
この頃になると江戸にそば屋は数えきれないほどあり、逆にうどん屋の数は激減してきました。

理由としては

二八蕎麦の誕生により、蒸すから茹でる調理法がとられるようになって、本来の美味しさを味わうことができるようになったからです。また蕎麦に人気を高めようと店側もさまざまな工夫を凝らして、今もそば屋で酒を飲むのが粋と言われているのは、蕎麦が茹で上がるまでの時間を短気な江戸っ子に楽しく過ごしてもらいたいと思い、酒を供するようになりました。

ただ蕎麦と酒というのは必ずしも相性が良い組み合わせではないと思われており、そのため酒を楽しむ人のために蕎麦を抜いた「ぬき」、蒲鉾を薄く切ってわさびと醤油を添えた「板わさ」、天ぷらの「天たね」などのメニューがありました。

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いわゆるおつまみですが、どれもそば屋に常備されている食材であり、つまみとして用意しているものではないのがポイントです。

昼間でも軽く酒が飲みたい時にそば屋に行けば、特に文句を言われることなく楽しめるので、そういった意味でも人気が爆発的に高まっていきました。

これが、今、巷で人気の「蕎麦屋呑み」のルーツと言ってイイでしょう。

江戸の三大蕎麦

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そして爆発的に増えた店の中でも、現在まで続く老舗がありました。

「老舗御三家」や「江戸の三大蕎麦」で、「藪(やぶ)」「更科(さらしな)」「砂場(すなば)」という屋号が系譜になります。

 

蕎麦 そば 2/3へ続く

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